三内丸山遺跡
そう言えば何気に縄文時代が好きだ。
歴史って、ぶっちゃけ権力者,支配者の覇権争いの流れの記述で、勝った者が自己顕示欲の為に書き連ねた呪いのようなもの。物語としてはともかく一市民としてはど〜でもいい煩わしい絵巻である
(元も子もない言い方だけど)
そんな歴史の中で唯一権力者ではなく市民中心で豊かに暮らせてた時代というのが縄文時代なのであります。

ということで前々から漠然とした興味がありつつも夢が壊れるのが恐くて深く調べたりせずに勝手な夢想レベルで好きだった。。
近年に発掘が進んでいろいろ解って来たこの
縄文時代の大型集落跡「三内丸山遺跡」。そう言う意味でかなり興味が有りつつも、実際に訪れるのには腰が退けてた(^ ^;Δ

そんな夢想レベルの予備知識主体に回るのもなんだから、ボランティアガイドでちゃんと聞いて回ろうと思った。
ロビーで少々待機。
この時間のガイド参加者は自分1人だった。。
青森弁まじりのガイドはとても解りやすく丁寧だった。

←ガイドさん。
一対一でやりづらそう。。
何か似てるし。。

まずは墓とゴミ捨て場を案内。
墓に通ずる道は幅12mの舗装道路だったとか。5000年前に舗装路!へ〜
ゴミ捨て場からのゴミで当時の食事は小動物や魚、木の実(主に栽培された栗)でやはり豊かだったらしい。
再現された竪穴住居に入ってみた。
一家族4,5人用。中は田舎の納屋のニオイがした。違和感なくコレなら暮らせると思った。
こちらは高床式の建物。ここは覗くだけ。
食料倉庫か死体安置所だったと推測されてるという話し。
次が此処で一番キャッチーなシンボル的な遺構、六本柱の復元。建築的にも木材的にもそれまでの縄文時代の概念を変える発見なんだそうな。
この建物は世代ごとに移築されてたらしく、跡が何ヶ所も見つかったそうな。

柱は栽培された栗の巨木。栗ってこんなデカくなるんだ。

でかいover!

実はまだ何に使われてたかは謎で柱以外の建造物も謎なんだけど、柱に掛かってた重量から何かしら乗ってたそうで、取り敢えずこういう形に再現してみたということらしい。

それにしても食料に木材に万能の栗。現在では数の少ない高価な木材らしい。この六本柱の再現で栗の巨木を探しまわって、2本は秋田産、4本はロシアから買ったそうな。

そして大型竪穴式住居。
これは集会所か祭祀所に使われてたらしい。
かなりデカくて広くて立派。
柱にかかる重量からロフトまであったと想定されてる。
遠目に見渡すと大型竪穴式住居が立派過ぎて六本柱がそんなに目立ってない気がする。。
〜勝手な想像〜
僕はここは巨大な斎場というか御霊を天に返す神聖な霊場だったんじゃないかな?と思う。六本柱はシンボルではなく天に昇る為の発信塔。建造物は下の方にしかなかったんじゃないかな?
一回りして最後にガイドさんと少し話しをした。
やっぱり縄文時代は自分の夢想に近く、武具も出土しておらず争いも権力的なものも無いのに栽培や建造の技術も高く他地方との交流も活発で平和な生活だったらしい。ただ子供の死亡率は高く平均寿命も低かったらしい(35歳くらい)
それと縄文時代も温暖化でかなり温かく青森あたりが丁度過ごしやすいくらいの場所だったそうな。(やっぱ温暖化ってCO2関係ないんじゃん?)

余談で、実はここは野球のスタジアムを建設してる途中であまりにも発掘され過ぎて急遽工事中止してスタンドまで完成してたのを撤去して史跡として大々的に発掘作業が始まったそうな。危なく埋もれる所だったんだ。。

さて最後にレストランで栗ソフト(ソフト栗夢)を食べた。モンブラン風で縄文式土器の様な形のソフト。味もさっぱりしてておいしかった。
ここで使った金はこの¥280だけだった。
三内丸山遺跡は僕の夢想をこわすどころか
更に縄文時代に対する興味を深めさせてくれた。
思い付きで来てすっかり観光しちゃった。
来て良かった。